みんなの茶の間の井戸端討論

先週の投稿!bikuriha-to.junpo.gif (1277 バイト)人間の(看護)介護?junpoha-to.gif (1280 バイト)2002.3/25(月)〜3/30(土)

 

身近に介護をしている(されている)人がいないのでなんとなく漠然とした感じではありますが、私もいずれそういう時が来るのかなぁ?
と思います。義父は私たちが結婚する以前に心筋梗塞で倒れ、今もこれからも薬を飲み続けなければならないそうです。
今は元気に仕事をして普通の生活を送ってますが、いつ発作が起こるか。(今度発作があったら危ない、とお医者様に言われたとか)
そして私の実家の両親も元気に暮らしてますが、兄姉みな家を出てしまっているので、もし何かあった場合には実家から
一番近くに住んでいる私が・・と思ってます。将来、介護が必要になるのかどうかなんて先の事は分かりませんが、
少しづつ考えていかなければならない事です。ただ、ずーっと自分中心で生きてきたので、誰かの介護が出来るのか?という
不安はあります。頭で考えてるより、はるかに大変な事だろうし。JUNPOさんは凄いなって本当に頭が下がります。
やさしい人なんですね。本日の好きな言葉とか読んで、いつも納得して反省して、胸がチクッとして。
ありきたりの言葉ですが、本当にお体だけは大切にしてください。我が家のInternetが繋がってる限りはJUNPOさんのファンで
いると思いますのでお体が辛いときは休んでください。
東京都 あかりさんより 29日

大変でしたね、ジュンポさん。私は身内には介護をする人が居ないのですが、ホームヘルパーの資格を去年取得しました。
介護というものは、実に大変なんだな・・と学びながら思いました。教科書を見ている分には介護の仕方が分かるのですが、
実際に老人ホームに研修に行った際に、どうしたらいいのか教科書通りにはいかないという 事を改めて感じました。
身内の介護は、それ以上に大変だと思います。ジュンポさんが今、この世に存在するのはお父様やお母様のお陰です。
偉そうなことを言って、すみません。頑張ってください!応援しています。
埼玉県 クミさんより 29日

junpoさんにそんな大変なことがあったなんて知らなかったです・・・。なんだか人事ながらちょっとショックでした。
私の祖父は数年前にお風呂場で足を滑らせてから左半身不随の寝たきりになってしまっています。
私は元気なときの祖父の姿しか記憶になく、祖父の病院に出向いたときに変わり果てた姿
(ものすごくやせていて、形相も変わっていました・・)に凄くショックを受けました。なんと声をかけていいかわからず「元気だった?」
なんてバカなことしか口から出てこなかったんです。正直なきたくなりました。
今もまだ寝たきりで今ちょうど母が帰省して看病をしています。ほんとに介護は綺麗事じゃすまないんですよね。
大阪府 サチさんより 28日

お父様の事、大変だったんですね。。最近「本日都合によりメールのお返事が出来ません」というコメントをトップページに
最近頻繁にお見かけしたので、気になってはいたのですが・・・
私の実家は92歳になる祖父・81歳になる祖母の2人が居ますが、お陰様で今でも元気にして居ります。
ですので、介護の苦労というのはゴメンナサイ経験して居りません。でも、今までのjunpoさんがお父様から受けた仕打ち
(って失礼な良い方ですが・・)をお聞きした事があるので「そこまでされて、よく出来るな〜」というのが率直な気持ちです。
2人とも20年くらい前に亡くなり私は実際に会った事が無いのですが、主人の父方の祖父は九州選出の国会議員だったそうです。
祖父は東京の議員会館、祖母は地盤を守るべく九州にと別居していたらしいのですが、今のように飛行機や新幹線が
有る時代では無いので、会えるのは年に数えるくらいで、しかも子供は5人。junpoさんのお母さま同様、祖父の女性関係等に
祖母はかなり悩まされていたそうです。立場上、祖父のスキャンダルになる事を人に相談する事が出来なかったんでしょうね。
「毎晩毎晩夜になると、オフクロは布団の中で泣いていた」と主人の叔父にあたる人が言っていたと姑から聞きました。
先に祖父の方が亡くなり、晩年になって痴呆の症状が少し出てきたらしい祖母は、病室に祖父が来ない事を
「またおじいちゃんはオンナの所に行ってるんでしょ!!」とよく怒っていたそうです。
能川さんのお母さまも能川さんと同じようにお身体の調子を崩されるくらい、本当によくお父様に尽くされていますよね。
同じ女として私には真似の出来ない事です。お父様が倒れられた事、「天罰が下った」と書かれておられましたが、
天罰もあるかも知れませんが気を悪くされないで下さいね、天の恵みかも知れませんよ。お父様と能川さんを再び引き合わせ、
そして「治ったら一緒に温泉に行きたい」とお母さまとの仲、そして大事さ、家族の大事さ・大切さを再認識されるキッカケ
になったんですから。私が介護の苦労を知らないからこそ言える能天気な言葉かも知れませんが・・・・
お店とお父様の看病、私には想像も出来ないくらい大変な事だと思います。
どうか
JUNPOさま御自身もくれぐれもお身体に気をつけて下さいませ。神奈川県 かなさんより 28日

私の父親は、今までいろんな病気で入退院をしてきました。おそらく、20回くらいはあると思います。
3年くらい前に、頚椎脊髄症になって、9時間くらいの手術を受けました。お医者様に、「50%の確立で車椅子は覚悟してください。」と
言われましたが、幸いにもそれは免れました。でも、未だに後遺症に悩まされています。背中から肩、腕がものすごく痛くて
しびれるそうです。手術を受けてすぐ、「これでまた仕事に復帰できる。」と喜んでいたのですが、もう、重い物などを持つことができず、
結局仕事復帰はできませんでした。父親が以前、「情けないなぁ。」とつぶやいたことが忘れられません。頭が痛かったり、
お腹が痛かったりというのは、いつか治るから我慢できるんだと思います。一生痛みが続くというのは、
一体どんな気持ちなんだろうと思います。今は、私たち家族が働いて、父親は家事(食事から掃除からごみ出しまで)を
殆どしてくれています。刑事だった父は、家事なんてしたことが無かったのに、私たちの為に、できることは全てしてくれます。
見た目はすごく頑丈そうなのに、今まで手術を繰り返してきた父の体の中はきっと、もうぼろぼろなんだろうなぁと感じます。
いつか介護が必要になる時が来たら、今までいろいろ父にしてきてもらった分、少しでも恩返しができればなぁと思います。
じゅんぽさんのようにはできないかもしれませんが、じゅんぽさんを見習って、一生懸命頑張ります!いつか、ご本を出されたら、
是非教えて下さいね(^^)
追伸、じゅんぽさん、介護やお仕事でお忙しいでしょうが、お体ご自愛なさってくださいね。私はまだ、1回しかお品物を
購入したことはありませんが、お店やじゅんぽさんの大ファンですから(^^)いつまでも応援しています!
山口県 ひめぴょんさんより 27日

現実に大変難しい問題ですね。私もこのお題に直面している一人ですが、義父が入院中です。
血液の病気であとどのくらい生きられるのかわからない状態です。
義母は2年前に乳がんで入院し現在は通常の生活をしていまが、昨年義父が入院し義母は看病に毎日病院の往復です。
私と子供は茨城に住んでおり、夫(赴任)と両親は神奈川におります。
正直近いところでの世話は何とか私の姉妹や母に助けてもらいながらできますが、他県ではなかなか難しいです。
金銭的なこともあるし、子供のこともあるし…自分の家庭を壊してまでの介護はなかなか出来ません。
現実に介護している義母の負担を少しでも軽くしてあげるために離れていても出来る事があるはずだと思い今も模索しながら奮闘中です。
大変だと思えば重〜〜く心に圧し掛かる。自分への貯金だを思えば乗り越えられる。
世話をしている人達の大変さ、身の回りの世話をしてくれる病院のスタッフの方々。
そしてこの少子化時代の中で今後介護の問題はますます難しくなっていくと思います。  
茨城県 ともこさんより 26日

私は高校生の時に福祉の授業があり介護福祉のことをいろいろ勉強しました。
講義だけではなく、実際に実技もやって介護する側とされる側の両方経験しました。あと資格をとるために
訪問看護というのを1日経験しましたが、すんごく大変でした。一緒にヘルパーさんが付いていてくれたので私はその横でどんな風に
介護しているのか見ていることしかできませんでした。学校で練習したのとは全然違い食べ物を食べさせること、体をふいてあげること、
その他いろいろしましたが、訪問介護が終わったあと介護がこんなに大変な事、それに対して自分が何もできなかったことに
ショックを感じました。改めて介護の厳しさを目の当たりにしました。ほんと介護の問題は難しいですよね。JUNPOさんも悩みなどは
絶えないと思いますけど体調だけは崩さずに気をつけてくださいね(^−^)きっとJUNPOさんのお父さんは自分の息子に
介護してもらえてるってこと素直にありがたい、嬉しいって思っていると思う。やっぱり見ず知らずの人より、
身内の人に介護してもらうのが一番幸せなんじゃないのかなぁ〜
神奈川県 高校卒業したマイコさんより 26日

難しいお題ですね・・・わたしは、老人施設に看護婦で勤務した事があるんですけど、実際身の回りの世話をするのは、半端じゃありません。
わたしが、その仕事を辞める事にしたのも、お年寄りを「物」としてしか扱わない姿勢にあったからです。
同じ生きているのに、「呆けてしまっているから、何もわからない」といって熱いお風呂に容赦なく入れたり頭からバサバサ
息もできないぐらいにお湯をかけたり、おむつ交換の時でも、まだ汚れが残っているのに平気でそのままにしてみたり、
とにかくあの扱いは人間としての扱いではありませんでした。でもデイサービスでは、とっても良いサービスをして体裁を繕っているんです。
そんな介護の姿勢に正直恐くなりました。実際大変なのもよくわかるんです。でも、人間らしく生きられないなんて悲しいですよね。
ああいった施設に入らなくてはならないお年寄りの家庭の事情もあるんでしょうけど。
そういった中で自分の家族に看てもらえるお年寄りは、幸せだと思います。じゅんぽさんも、看護がんばってください。
お父様は幸せだと思いますよ。
滋賀県のあいこさんより 26日

じゅんぽさん(;;)とりあえず、こういう話には、弱いです。じゅんぽさんが、父親に対して、どんな気持ちなんだろう?っと、
何度も読ませてもらいました。介護は、本当にしたことがある人にしかわからないと思います。こんなにいいHPを作りながら、
お店の営業もしながら、そういう苦労されていたのですね!たまに、お坊さんみたいなことを言われるから、(たとえが、変ですみません。)
苦労された方なのかなぁ〜?とは、思ってましたが・・・とにかくお体だけは、気をつけて・・・。
じゅんぽさんのお店のファンの一人として(新参者ですが)ささやかに応援したいと思います。
でも、じゅんぽさんは、強いですね!私は、自分に負けて、いろんな事から逃げる人生を送ってきたとおもいます。
この先、もし、親の介護をつらいと思った時は、じゅんぽさんの「人生勉強」と、いう言葉を思い出しますね。
それにしても、最後の、「人間以上」とは!? 凄すぎます(^^;)
長崎県のみわこさんより 25日

「介護」・・・そう簡単には出来るものではありませんし、誰にでもできるとは限りません。
いかに相手を自分以上に大切な存在であるかそして相手に生きる勇気を与えられるかだと思います。
「介護」を職にしている方々本当にすごいなぁと思います。人間、喜怒哀楽が必ずあり、病気の方々個々に合わせて対応を変え
生きる喜びや勇気を与えて接していく姿は本当にすばらしいなと感じます。まず正直自分の介護だけでもしんどいのに他人の世話まで
できるのはその人自身の忍耐や責任力が大きいんだなって思う。JUNPOさん、いろんな葛藤あったと思いますが、ここまで自分が
存在できてるのも両親のおかげです。いやな面ばかりだけではなかったと思いますよ。でも今こうして家族の絆を改めて感じる事が
出来たのは本当に幸せな事だと思います。「幸せ」を感じることもできずこの世を去ってしまった方々もたくさんいるんです。
私が経験した介護は祖父の介護。介護という事はほとんどできませんでしたが癌であった祖父に少しでも喜びと生きる楽しさを与えたいと
病院に通い手紙を書き、ツルを折りました。ものすごく喜んでくれました。最後自分が癌であると分かっていた祖父は自宅に戻りたいと。
自宅で最後を迎えました。最後の姿。一生懸命起きあがろうと力尽いてしまった祖父。人間の哀れさを改めて身に感じました。
死を目前にした私にとって生きているこの時間大切に一生懸命生きたい。と思いました。そして常に両親への感謝の気持ち、
自分が出来る恩返しをしていきたいと。JUNPOさん毎日大変だと思います。でも何故毎日介護ができるのか。
それは両親に対しての強い愛があるからです。言葉でしか言えませんががんばってください。
JUNPOさんがへこんじゃったらお父様も元気なくなってしまいますよ。
三重県 タカさんより 25日

介護とかそういう話は実際自分の身に降りかかってこないとなかなか本当の苦しさや大変さが判らないものだと思うのです。
junpoさんご両親に対しての複雑な関係やお店に関わる云々他でご自身の体調を崩されない事をお祈り致します。
私自身の看護の話はjunpoさんとは比べ物にならない物ですが今年長男が入院した時の事をまず思い出します。
絶飲食で点滴だけの毎日で本当に代わって上げられるものならと思いました。
馬鹿でも(親が言うのだからいいよね)元気で居る事が本当にどんなに大切かと思いましたねえ。
神奈川県 ばぶさんより 25日

おそらく常連様は気づいたか?今年に入って最近ジュンポの更新少ないな〜って?皆さんにご心配かけまいと黙っていたことがあります。
去る1/11家出してから11年も会っていない親父が脳溢血で倒れました。一週間は危篤状態で、家族全員が呼ばれてしまいました。
私は親父が死に目に合うときだけ再会しようと決意して11年前に家を出ていましたが、その時が本当にきた!と思いましたが
言いたいことも言えず、のち20日間も植物状態が続き(私ほぼ未睡眠な日々)
毎日のように18:00に閉店し休み無く本日迄看護と介護をしてきました。(これからも、、、?)
ここへの帰宅は毎日22:00近く!それから、また仕事で正直クタクタです。しかし実家のお袋もダウンしてしまったので仕方ありません。
(さまざまな親父(現役時)の問題が勃発して)親父が初めて目が覚めたときの驚きと同様は隠せません。涙の毎日でした。
自分との葛藤はこんなに辛く苦しいものかと思いました。左半分半身不随、目、言語、さまざまな後遺症と私との毎日のリハビリ生活です
会話の練習から始まって食事や歯磨き、すべてが、まるで子供にするような育児介護のスタートとも言えます。
なんで親父を許せるのだろう?どうして身を(お店も)削ってまで、こんな事してるのだろうか?今はリハビリ病棟に移ることもでき、
昔の親父の頑固や威嚇の様子もありません。本人は何度も死にたいという言葉を口走ったか?ただ一つだけ嬉しかったのは
家族やおまえ(じゅんぽ)の為に生きると、、、そして退院できたらお袋を温泉に連れて行きたいと、、俺は今更、、とも思った。
とても辛い毎日の連続ですが親父の、その言葉を信じ今の介護ができる自分の理由ではないかと、、、
そして看護や介護によって人間として、さまざまな勉強をさせてもらってる自分へのご褒美でもないかと、、、、きっぱり介護は人生勉強です
家庭をかえりみず頑固でわがままで女遊びも絶えず仕事一本でやってきた親父!
神様が与えた親父への天罰と最後の人生の責任かとも私は思ってる。
いつか時間があったら本にでもしますね!もう2ヶ月赤字続いてお店どこまでできるかわかりませんが
皆さんご心配なく!私の根性と気力は人間以上ですから。。。。
JUNPO君 管理人 3/25



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